三留商店

2.「坂の下のこと」

三留商店のある鎌倉・坂ノ下は、神奈川県鎌倉市の海側、ちょうど長谷と極楽寺の間にございます。

1882年〜店先にて

鎌倉・坂ノ下は、前面を由比ケ浜海岸の西端である坂ノ下海岸に面し、背面を御霊神社(権五郎神社)とその鎮守の山に護られた風光明媚な土地柄です。
町名は、「鎌倉七口の一つ極楽寺坂切通の下にある」が由来。戦国時代から呼称され、江戸時代の記録にその名が残っております。明治二十二年(1889年)より西鎌倉村に属し、明治二十七年に鎌倉町坂ノ下に。現在の町名「坂ノ下」となりましたのは、長谷の一部を含めての昭和四十七年(1972年)からになります。

鎌倉は一方を海に、三方を山に囲まれた細長い土地です。

鎌倉には文士がたくさん居たと言いますが、坂ノ下界隈にも、萩原朔太郎、国木田独歩、日夏耿之介など錚々たる方々がお住まいになっておられました。

付近には、前出の坂ノ下海岸、御霊神社(権五郎神社)以外にも、昔は昼でも井戸の中に星が見えたという「星の井(星月夜の井)」、虚空蔵様をまつる「星井寺(虚空蔵堂)」などの名所旧跡がございます。

食料品店として軌道に乗ってきますと、 徳衛に新たな想いが沸きおこります。

また、有名なお祭りとして、御霊神社例祭の「面掛行列」が執り行われます。
二百年以上前から続くといわれるこのお祭りは、豊年、豊漁、子孫繁栄を神様に祈願する神事です。神奈川県の無形文化財にも指定されました。
九月十八日まだ暑さの残る時分、お囃子の後に白装束が、天狗の面をかぶった猿田彦や獅子頭をかつぐ人がならび、十人の、面をつけた男衆がそれに続きます。爺・鬼・異形・鼻長・烏天狗・翁・火吹男・福禄寿・おかめ・女の順です。お供に裃の役員と狩衣烏帽子の宮司・神官がつき、この美しい行列は160メートルも続いて、ゆるく町内を移動していきます。

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